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1986年モントリオールへ

ログハウスのプロジェクトを終え、東部カナダとアメリカを旅行しました。それまではなんとなく日本に戻ることを想像していましたが、カナダの魅力に惹かれもう少し滞在を伸ばすことにして、この先どちらで生活するにしても、時間のある間に英語をしっかりと勉強することにしました。バンクーバーでも良かったのですが、家族や知り合いがいてどうしても日本語を話す機会が多いので、思い切ってほとんど誰も知らないところに行くことにして、旅行をしたときに一番気に入ったモントリオールをもう一度訪れ、学校と住む場所を決めました。英語はマギル大学McGill Universityで主催している大人向け9週間集中講座、住む場所は新聞で探したダウンタウンにあるコンドミニアムです。住人の医者夫婦が冬の間フロリダへ避寒に行っている間、借りることが出来ました。

<大陸横断鉄道 VIA Tail>

1月に開始される英語のコースに向けて、5時間弱で行ける飛行機ではなく、こんな時でないと経験出来ない大陸横断列車でモントリオールへ向かうことにしました。大陸を横断する路線はアメリカとの国境沿いに走る、カナディアンパシフィック鉄道Canadian Pacific Railwayと、少し北寄りを走るカナディアンナショナル鉄道Canadian National Railwayの2つです。元々は両方の路線で旅客輸送をしていたのですが、飛行機と自家用車の発達による旅客の減少で1970年代に旅客部門はVIA Railに統合され、北寄りのルートを使用することになりました。VIA Railはバンクーバーからモントリオールまでの約3,700kmを5日間かけて結びます。通常でもよく遅れるのですが、冬場は雪などの影響でスケジュール通りの運行はまず期待できません。

バンクーバーを夕刻に出発。列車には二人用の個室、一人用のルーメットroometという個室(現在は違う名前です)、2段式の寝台車、普通の座席と別れていて、私は長旅なのでプライバシーの保てるルーメットにしました。ルーメットは面白い作りで、2つの部屋が互い違いになっていて、私の部屋の足元の下には隣の部屋の一部がありました。またベッドはトイレの上に引き出すので、用を足すときには毎回ベッドを片付けなくてはなりませんでした。

翌朝、この旅の最大の見所、カナディアンロッキーの最高峰マウントロブソンMt. Robsonを見ながら、ロッキー山中をジャスパーへ向かいます。ここがこの旅のハイライトで、屋根がドーム状になったパノラマカーから雄大な景色を楽しむことが出来ました。ジャスパーを過ぎてしばらくするとプレーリーprairieと呼ばれる穀物地帯を延々とと進みます。冬ということもあり、部屋の車窓から見える景色といえば、雪に覆われた木々と平坦な土地だけです。インターネットも無い時代ですから、読書と食事以外にすることはありません。ずっと狭い部屋にいてもつまらないので、読書に飽きるとパノラマカーやラウンジに行きました。ラウンジでは、夜になると酒を飲みながら居合わせたカナダ人と話をする機会が出来ました。皆親切で私の英語にも付き合ってくれました。

今は車両に共同のシャワーが設置されていますが、当時はそれも無く、途中でシャワーを近場のモーテルなどで浴びることが出来るように長めに停車する駅を何箇所か設けていました。私は大きめの町で観光も兼ねて2回宿泊し、次に来る列車に乗り継ぐ方法をとりました。

<モントリオール到着>

約1週間かけてモントリオールに到着。アパートに行き、管理人から説明を受けます。ここには建物が3つあり、地下の駐車場で繋がっています。プールやドラッグストアは私のアパートとは違う建物にあり、寒い屋外に出ることなく行けたので助かりました。まずは生活に必要なものの買い出しですが、家具や食器は住人のものを使えるので、ダウンタウンの探索です。バンクーバーではお目にかかれないお洒落な店が多くあり散策をするのが楽しいのですが、12月のモントリオールはとても寒く、ヒートテックの無い時代、少し歩いては通りがかりの店に入ったり、カフェで温かい飲み物で冷えた体を温めながらダウンタウンの雰囲気を楽しみました。

ある食料品店に入ったところ、applepear、りんご梨という果物を見つけ買って食べてみると日本の梨でした。当時バンクーバーでは私の知る限りおいてある店は無く、無類の梨好きとしてはそれから毎日食べたものです。