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エジプト・ドバイ 1

このところガザ地区での緊迫した情勢が続いていますが、いわゆるイスラム圏といわれる地域にはエジプトとドバイを訪れたことがあります。これまで居住した日本や北米とは全く違う文化を体験することができました。

入国手続き

2007年ごろにエジプトEgyptへ出張する機会がありました。ドバイDubaiで開かれるミーティングへの出席も兼ねて家族を連れて行くことにしました。当時はまだ東京にエミレーツ航空が入っていなかったので、名古屋からの便に乗りドバイ経由でカイロCairoに向かうことにしました。カイロに着く前に窓から紅海Red Seaとそこから地中海につながるスエズ運河Suez Canalが見えましたが、白い砂漠の中を突っ切る青い筋が感動的に美しかったのを覚えています。カイロの空港に着くと、私の名前を書いたサインボードを持っている男性がいました。ホテルの支配人が手配してくれたようです。あとについていくと、通関の長い行列を飛び越えてあっという間に入国できました。普通に並んでいたら何時間かかっていたかわかりません。感謝!空港ビルの外に待っていた車に乗りホテルへ。

エジプトのホテルの支配人たち

この当時空港近くの町ヘリオポリスHeliopolisに買い取ったホテルが1軒、ナイル川沿いにはもう1軒が建設中でした。ヘリオポリスの支配人フランシスFrancisは以前カナダのロッキーにあるホテルの支配人をしていたときからの知り合いです。あるとき相撲の巡業でそのホテルに力士たちが泊まることになり、トイレはそのままで良いのだろうかとイギリス訛の英語で相談の電話があったのが初めての会話でした。壊されてしまうのではと本気で心配してました。それ以来の仲で、その後バンクーバーの空港に出来たホテルの支配人として移ってきてからは、色々な機会で会うことがありました。ホテルでは良い部屋を用意してくれて、朝食もサービスしてくれました。彼との打ち合わせはスムーズに進み、次の日はもう1軒の建設中のホテルの支配人とのミーティングです。ホテルまで運転手付きの車が迎えに来てくれ、近くの旅行会社とのミーティングに合流しました。レバノン人のフランクFrankとはやはり彼がロッキー地区のセールスをしていた頃からの付き合いです。知り合ってしばらくしてからカルガリーCalgaryにあるホテルの支配人になり、その後アメリカのダラスDallasの支配人をしたあとにエジプトに移りました。2011年にニューヨークで同時多発テロが起こったあと、献身的にボランティアをしました。アラブ系の彼にとってはやりにくかったと思いますが、彼一流のジョークを交えてその時の話を聞いたものです。

交通事情

ミーティングが終わり、建設中のホテルに向かう車の中のことです。「運転手付きの車に乗るとは随分出世したな」とからかうと、「すごいだろ」とニヤッと笑い、そのうち理由がわかるよと言いながら運転手の紹介をしてくれました。「彼は通称マイケルシューマッハ」と現役を引退したばかりの超一流FIレースドライバーの名前を出してきました。エジプトの交通事情は日本のそれとはかなり違い、3車線の道路を横に5台並んで走っていたり、カイロ市内の首都高速道路のような高架道路の上を人が平気で渡っていたりと交通ルールはあって無いようなもの。そんなエジプトの街中をドライバーの彼はその名の通りものすごいスピードで他の車の間をすり抜けダウンタウンを目指します。障害物の接近を知らせるセンサーは鳴りっぱなし。カイロ市内は慢性的に渋滞がひどいのですが、彼は裏道を駆使して目的地を目指します。「これが自分で運転しない理由だよ」とウインクしながらフランクが言いました。ちなみにエジプトでは仕事中は自分で運転してはいけないという会社の規則があったそうです。後日ピラミッドのあるギザ地区へ観光に行った際、街中の信号が消えていました。停電かと思いガイドに聞いたところ、「信号を点けるとますます交通が混乱するから」という日本では考えられない答えでした。こんなところにも文化の違いを感じました。