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東部カナダとニューヨーク

<カナディアンロッキー>

1986年夏過ぎにログハウスの仕事も一段落し、日本から来た母を連れてカナダとアメリカを旅行しました。まずはカナディアンロッキーCanadian Rockies。バンフBanff、レイクルイーズLake Louise、コロンビアアイスフィールドColumbia Ice Fieldの後、ジャスパーJasperまで足を延ばしました。その雄大さに感動しましたが、中でもジャスパーパークロッジJasper Park Lodgeは今まで経験したことのない素晴らしいリゾートでした。母もとても気に入り滞在を延ばしたかったのですが、残念ながら部屋の空きがなく予定通り旅を続けることにしました。

<モントリオール>

カナディアンロッキーの後は私にとっても初めてのカナダとアメリカの東側です。まずはカナダはケベック州Province of QuebecのモントリオールMontreal。歴史の違いもありますが、石造りの建物が多く、バンクーバーとは全く違います。バンクーバーでは殆ど見る機会のなかった、もみあげを伸ばして黒の帽子と服をまとったユダヤ教徒の男性が行き来して、街中ではフランス語が話され、街の雰囲気もどこかヨーロッパ的。人々はお洒落で、みんなジーンズを着ていたバンクーバーとは大違い。体格もそんなに大きくなくとても親しみがもてました。朝食に寄った小さなカフェのクロワッサン、ランチのパスタ、フランス料理の夕食など、どれも美味しく、次に食べるものを考えるのが楽しみでした。石畳の旧市街では、後にケベック州出身の歌姫、セリーヌディオンが結婚式を挙げたノートルダム大聖堂Notre-Dame Basilicaの青を基調にした内装と荘厳で美しい建物に感動しました。

<ケベックシティ>

モントリオールから車で北に向かって3時間弱のところにあるケベック州の州都、ケベックシティQuebec Cityはセントローレンス川St.Lawrence River沿いの古い町で、丘の上の城壁の内側の旧市街はまるでヨーロッパです。街のシンボル的存在のホテル、ル・シャトー・フロンテナックLe Chateau Frontenacからはセントローレンス川のケベックシティの港が見下ろせます。モントリオールよりも更にフランス語が多く話されているこの街には、入り口にメニューを持った若い女性の店員が立っているレストランが多く、事前に値段とメニューをチェック出来たので、安心して入ることが出来ました。このときに入った1軒のレストランの料理は素晴らしく、その後ケベックシティを訪れるたびに事情が許す限りリピートしました。セントローレンス川を少し下ると右側にオルレアン島が見えてきます。一周するのに車で2時間もかからないこの島は、1930年代まで橋が無かったせいか、農場やレストランが点在するとてものどかなところでした。このときは古い農家を改造したレストランに行きました。味は普通でしたが、この地方の古い農家の暮らしぶりがしのばれる建物での食事を楽しみました。

シャトーフロンテナック

<トロントからナイアガラ>

トロントはカナダで一番人口の多い大都会です。ダウンタウンには高層ビルが立ち並び、その間を路面電車が走り、この当時カナダの他の都市では見られなかった屋台のホットドッグ屋もありました。ブランド店が並ぶ通りもあり、流石にカナダで一番の大都市と言う感じでしたが、残念ながら私達にとってモントリオールほどのインパクトはありませんでした。トロントのからは車でナイアガラへ。ナイアガラの滝Niagara Fallsは流石に迫力がありましたが、ナイアガラの町はスマートボール屋の無い熱海という感じでした。といってもピンとこないかもしれませんが、昔の熱海は浴衣を着た観光客がそぞろ歩きをして、ピンボールとパチンコをあわせたようなスマートボール屋があちこちにある町でした。ナイアガラから川沿いに車で行くと、ワイナリーがいくつも見えてきて、それを過ぎるとナイアガラオンザレイクNiagara on the Lakeという街に入ります。中心には1864年創業のとてもエレガントなプリンスオブウェールズホテルPrince of Wales Hotelがあり、その並びには昔ながらの量り売りをする薬屋などがありました。観光客も多いのですが、何故かのんびりとした雰囲気の可愛らしいところでした。

<ニューヨーク>

ニューヨークにはナイアガラからレインボーブリッジという橋で国境を超えニューヨーク州に入り、バッファローBuffaloから飛行機に乗りました。空港に行くまで時間があったのでバッファローの町を見ていこうかと思いましたが、それまでのカナダののどかな雰囲気とは違い、どこか荒涼として危ない感じがしたので、そのまま空港に向かいました。ニューヨークはさすがに世界の大都会。母はお目当てのブランド店に行くことが出来、ミュージカル「キャッツ」も見れて大満足でした。ただ1986年当時はまだ治安があまり良いとは言えず、ミュージカルの後は母を連れて町を散歩したりすることは出来ず、そそくさとホテルに戻りました。私は母が部屋に戻った後プラザホテルのセントラルパーク側にあったオークバーに一人で行きました。とても雰囲気が良くバーテンダーも親切でした。カウンターで一杯飲っていると隣にいた美女が話しかけてきました。その女性が席を外したときにバーテンダーがそっと私に、その女性はプロだから気をつけるように忠告してくれました。案の定、その後私の部屋に来たいと言ってきたので、適当にいなして無事に済みました。バーテンダーにチップを弾んだのはいうまでもありません。

<チップ>

チップといえば日本では旅館の中居さんへの心付けくらいしか馴染みがありませんので、はじめの頃はいくら、いつ、どうやって渡すのか戸惑い、少し慣れてからもうっかり忘れてしまうこともありました。レストランやタクシーなど、クレジットカードにチップを付けられるときは良いのですが、ホテルのポーターやドアマン、メイドなどに渡す場合はそうもいかないので、出張や旅行に行くときには必ず事前少額の紙幣やコインを用意します。そしてホテルにチェックインする際にもフロントで両替してもらいます。

そんなチップの習慣に慣れた頃、サンフランシスコのフェアモントホテルにカナダ出身のジャズピアニスト、オスカーピーターソンのディナーショーへ行ったときのことです。入り口で予約を確認した後、係員が席に案内してくれたのですが、どんどんピアノから離れた方へ向かっていったので、途中で呼び止めてチップを渡したところ(20ドルくらいだったと思います)、クルッと方向を変えてピアノのそばの良い席に案内してくれるではありませんか。このときほどチップの効き目を感じたことはありません。