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1986年 日本 – バンクーバー – 100マイルハウス

<出発前夜>

1986年5月、日本を出発する前夜、Mさんが亡くなったという知らせが入りました。Mさんは作曲家で「サバダバダ,,,,」で有名な11PMのテーマ曲も彼の作品です。また、ジャズピアニスト、編曲家、日本の草分け的レーシングドライバーと多彩な顔を持つ人です。学生時代から可愛がっていただき、一時は毎晩のように六本木で一緒に飲み歩いたものです。取るものもとりあえず新宿の病院まで駆けつけお別れをしました。翌日に日本を離れるというタイミングになにか運命的なものを感じました。

<アパート>

当時兄が関係していた会社が日本へログハウスを輸出するので、いくつかのログハウスメーカーからノウハウを学んで来ると言うのがカナダ行きの表向きの理由でしたが、実際にはしばらく違った環境に身を置いてくるというのが本当のところです。最初の1週間ほどは兄のアパートで暮らしました。アパートといっても当時の日本での感覚とはまるで違い、部屋が広く、2LDKのリビングには本物の木を使う暖炉fire placeが付いていました。薪fire woodはガソリンスタンドで買えるので、毎晩のように火をつけて木の焼ける匂い、爆ぜる音、ゆらめく炎を楽しみました。

<100マイルハウス>

カナダに着いてから約1週間ほどして、最初のログハウスメーカーに向かって出発です。兄の同僚であるブルースが彼のミニバンで送ってくれました。ブリティッシュコロンビア州Province of British Columbia内陸部の南部にある100マイルハウスは昔の金鉱ラッシュのときの日本でいうところの宿場町です。金鉱ラッシュのときの起点であるリロエットLillooetという場所からカリブーワゴンロードCariboo Wagon Roadという馬車道で100マイルのところにあることからその名前が付いたそうです。

100マイルハウスはサウスカリブーSouth Caribooという地方の中心地ですが、人口は2,000人ほどの小さな町です。1986年当時、町を通り過ぎるのに信号機は1つ、町にはスーパーマーケット、ドラッグストア、パブ、モーテル、ガソリンスタンドなどがそれぞれ1-2軒ほどあるだけでした。

唯一の信号

夫婦に小学生の男の子、そしてボーダーコリー1匹、猫1匹の家の1室を借りました。このボーダーコリーはとても人懐こく、まだそんなに英語も話せない私の良い友になり、リビングで寛いでいるときはいつも私のとなりにいました。ある日の夕方庭にいるとこの犬が私を裏の方に誘導するのです。何だろうと思って後をついていくと、裏の道を牛の群れが通っていくところでした。なんとも得意げな表情で私を見るので、頭を撫でてやるととてもうれしそうでした。牧羊犬としての本能がそうさせたのか、ただ私にそれを見せたかったのかは未だに不明ですが。

この家に来て最初に奥さんから言われたのは、ご主人がアル中気味なので自分の部屋以外でお酒を飲まないことでした。ある週末、奥さんが息子を連れて出かけました。するとご主人が町まで一緒に行こうと誘って来たのでついていくと着いたのは1軒のパブ。奥さんの目を盗んで一杯飲りに来たのです。止めようとしましたが、彼は私のつたない英語がわからなかったのか、わからないふりをしたのか、二人分のビールを注文。冷たいビールの魅力には勝てず、結局私は共犯者になってしまいそれ以来、滞在中に2-3回パブにお付き合いしました。

朝早くに奥さんの作ってくれたサンドイッチの入ったランチボックスを持ってログハウスのヤードyardに行きます。ヤードにはログハウスを作るための丸太がたくさん積まれていて、マーモットmarmotというリス科の動物がその上で立ち上がって出迎えてくれます。

マーモット

ログハウスをつくるのにはいくつか木の種類がありますが、ここではスプルースspruceというマツ科の木を使用していました。最初はピーラーという皮むき器を使い、丸太の皮をむく作業をしました。皮むきとはいっても人参のそれとは大違い。結構な重さのあるピーラーを両手で持って樹皮を剥いでいくのです。それまでの夜遅くまで、ときには朝までスタジオでレコーディングをしていたのとは真逆の生活です。5月の朝は朝はまだ寒いのですが日が登ってくると暑くなります。筋肉痛になり、何回か日射病になりました。

樹皮を剥いたスプルースは明るい色をしています。これを皆チェーンソーを器用に扱い、設計図通りの大きさや形にしていきます。寸法通りに切られた丸太にV字方の切れ目を入れ、断熱材を大型のホッチキスで固定していきます。丸太の交差する部分にはノッチと呼ばれる切れ込みを丸太の大きさに合わせて作り、釘を使わずに積み上げていきます。木の種類とノッチがそれぞれのログハウスビルダーの個性になるのです。

ピーラー
ノッチ

現場には作業員が4人ほどいて、トップは通称JJという気は優しくて力持ち、映画にも出てきそうなナイスガイです。デイブDaveは私の住んでいた場所に近くに住まいがあり、車を手に入れるまでヤードへの行き帰りは彼の車に同乗させてもらいました。このあたりでは大体みんなピックアップトラックと呼ばれるセダンのような運転席で後ろが屋根のない荷台になっている車に乗っていました。中でも日本製は車体は小さいのですが性能が良く人気がありました。現場の一人がそれに乗っていていつのまにか日本で見ることのなくなったDATSUNの文字が荷台後部に大きく書かれていました。日本ではダットサン、北米ではカタカナにするとダッツンです。

ある日デイブの家に招待されました。彼の家はトレイラーハウスTrailer Houseと呼ばれるもので、家をトラックで運んできて住む場所に設置するというものです。中は居心地が良く、奥さんと赤ちゃんの3人で住んでいました。彼の仕事のせいか、この家では靴を脱いで暮らしていました。何をごちそうになったか覚えていませんが、大量にビールを飲み大いに盛り上がりました。

トレイラーハウス
内部の1例
こうやって運びます